ロンドンでの学生生活2年目だった2002年の誕生日に、ロンドン南部はニュークロス・ゲートのフランシスの下宿に引っ越しをした。いつでもまた 動けるように、物を増やさず、こじんまりと暮らしていたが、結局2006年の夏に結婚するまで4年間余も居座ってしまった。フランシスは亡くなったインド 人の旦那さんとの間にできた4人の子供を育て上げ、かつては宗教の先生だったと言う、面倒見がよくおしゃべりで、心臓が弱いのだけが玉の傷というおばあ ちゃんである。
昨年末に突然フランシスから電話がかかってきて、何事かと思いきや「お茶にでもいらっやいよ」とのことで、なんだか寂しいのかなと思い、一月のあ る日、数年ぶりにフランシス家を訪れてみた。その一週間くらい前に小さな心臓発作が起こり、病院に駆け込んだそうで、会った時もまだ本調子ではなさそう だった。末息子が夏に結婚するらしく、それを機にこの大きなヴィクトリアン・ハウスを売って、彼とと一緒に住まないかと言っているらしい。新婚さんと、そ の親と住むのは難しくないかね、と思いつつ、まあそれは他人事だから突っ込まないことにし、でも家を夏頃売るというのはどうやらそうらしい。フランシスは どんどん弱っていくし、もう大きな家は無理、ってことらしい。
なので、これが私にとってもあの家最後になるのかな。
数年ぶりに訪れた家は、何事もなかったかのように変わってなかった。
家の周り、バス停からの道も変わってなかった。
フランシスはしぼんで小さくなってた。
やせた、というともっとポジティブ。
ほんの1時間あまりの訪問だったけど、そこから引き出された感覚、印象、記憶、とは、とても大きかったらしく。翌日までちょっとくらくらしていた。自分の過去を訪問したようだった。日本に一時帰国する時も同じような風になるけど。それで、数日間ひたすら寝ていたりする。
こうやって、表には出ていないけど、無意識の世界に潜んでいるものって、絶対あって、しかもパワフル。ミランダ・タフネルがワークショップで「ダ ンサーは身体の大使で、見えないものを見えるようにする」って定義づけていて、なるほど、とその時も思ったけど、最近はますます、その通りだと思ってき た。見えない闇の世界をムーブメントを通して、解放できる人の踊りが、パワフルな踊りなんだろうな、と。ほかのアートも、媒体や手法は違うけど、やはり自 分の闇の世界を解放し、反映された作品が良い作品なんだろうな、と。
なので。
意識の闇とか、そこに潜んでいるものって、暗くてネガティブなイメージがあるけれど、それはそこにあって当然で、きっと全ての人にそうゆうのはあ るのだろうけど、その存在に気づいている人は限られていて、まずは気づくところから初めて、それをどう消化し、反映させていくかというのがアートなのだろ うな、と思っているところ。
ところで。前出の
「シュンキン」
「春琴」でした。
3月は世田谷パブリックシアターで上演中。ぜひ行ってみてください。
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別に回し者でもなんでもないんですけどね。
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